今回は「ミスチルがレコード大賞を欠席した理由は?事件の真相や過去の受賞曲も一緒に紹介!」といった内容でお届けします。
Mr.Childrenこと『ミスチル』は、1990年代に発売した楽曲がミリオンを連発し、瞬く間に幅広い世代に支持されるバンドになりました。
そんなミスチルですが、大ブレイクのきっかけになった楽曲の一つに「inoccent world」があります。
1994年に発売した「inoccent world」はその年の日本レコード大賞で大賞を受賞するほどでしたが、そこである事件が起きたのをご存知でしょうか。
それは、ミスチルが日本レコード大賞を欠席するという珍事です。
この記事では
- ミスチルがレコード大賞を欠席した理由とは?
- レコード大賞でミスチルの過去の受賞曲は何がある?
以上を中心に解説していきます。
それではさっそく見ていきましょう。
ミスチルがレコード大賞を欠席した理由で事件の真相は?
ミスチルはレコ大の会場にいませんでした。#1番だけが知っている #TBS #mrchildren pic.twitter.com/SwL07DwwBi
— ロケット (@VRjapani42) October 21, 2019
1994年(平成6年)、日本レコード大賞の優秀作品賞のノミネート作品は以下になります。
- 桂銀淑「花のように 鳥のように」
- 桑田佳祐「月」
- 坂本冬美「夜桜お七」
- 篠原涼子 with t.komuro「恋しさと せつなさと 心強さと」
- trf「survival dAnce 〜no no cry more〜」
- 長山洋子「めおと酒」
- NOA「今を抱きしめて」
- 藤あや子「花のワルツ」
- 藤谷美和子&大内義昭「愛が生まれた日」
- Mr.Children「innocent world」
音楽番組でもよく流れる、篠原涼子さんの「恋しさとせつなさと心強さと」などがありますね。
この時代はCD全盛とも言われ、音楽業界が活気づいていた時期でもありました。
この年に、ミスチルはレコード大賞を受賞したんですね。
ちなみにミスチルはこの年「Atomic Heart」というアルバムで、ベストアルバム賞にも選ばれています。
そんなミスチルが、授賞式を欠席した理由は何だったのでしょうか。
PV撮影のためオーストラリアへ行っていた
1つ目は、PVの撮影でオーストラリアに行っていたという理由です。
これは欠席理由として公に周知されているのですが、実は表向きの理由だったのではないかという意見もあるようなんです。
というのも、ミスチルがオーストラリアでPV撮影やレコーディングしていたと言われる時期が「1994年11月17日~11月23日」と言われています。
となると、PV撮影でオーストラリアに行っていたから日本レコード大賞に出演できなかったというのは辻褄が合わないのではないでしょうか。
ミスチルは年末に日本ツアーがあった
1994年のミスチルは「Mr.Children ’94 tour innocent world」というツアーを行っていました。
このツアーは1994年の9月18日~12月18日まで行われていました。
(オーストラリアで撮影期間の11月17日~23日はツアーは行っていません)
日本レコード大賞は12月31日に放送されたので、オーストラリアに行けなくはないのですが、1度オーストラリアに行って、次の月に行くというのもなかなかハードです。
一度オーストラリアに行った際に、なぜ撮影を全て終えなかったのかという疑問も残りますよね。
ボーカル桜井和寿が賞レースが嫌いだった
仮にオーストラリアに行ってなかったとすれば、なぜ嘘を付いてまで欠席することになってしまったのでしょうか。
これには、ボーカルの桜井和寿さんが賞レースが嫌いだったという意見があります。
音楽を賞レースで順位を決めることが嫌いなのは、桜井和寿さんだけでなく、他のアーティストの方でも話は聞いたりしますよね。
レコード大賞は文字通り賞レースですので、もし賞レースが嫌いであれば出席したくなくなる気持ちも分かります。
ミスチル自身が大賞に選ばれると思っていなかった?
元々ミスチルがオーストラリアに行くため、授賞式に出席できないことが事前に番組側に伝わっていたという話もあります。
ミスチルは番組側に伝えていたこともあり、自分たちは選ばれないと思っていました。
ですが、この年の日本レコード大賞では、ある大手事務所が圧力をかけ、ミスチルではないアーティストに大賞を取らせようとしたという疑惑があります。
圧力に反発した審査員たちが、ミスチルにこぞって投票したことで結果的にミスチルが大賞に選ばれることになり、ミスチルの欠席受賞というのが浮き彫りになったんですね。
ミスチル自身、大賞に選ばれないと思っていたならば、欠席をしてしまったという理由も頷けますよね。
授賞式では、音楽番組「COUNT DOWN TV」に出演した際の映像を流した。
ミスチル過去のレコード大賞の受賞曲は何がある?
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1994年(平成6年)にミスチルは「innocent world」でレコード大賞を受賞しました。
「innocent world」の他に受賞した曲はあるのでしょうか?
年代を踏まえながら、詳しく解説していきたいと思います。
2004年のSignで2回目の大賞を受賞
2004年の第46回日本レコード大賞で、ミスチルの「Sign」が2回目の大賞を受賞しました。
このときの、日本レコード大賞ではミスチルは出席し、メンバーが盾や花束などを受け取っていましたね。
Signは「オレンジデイズ」の主題歌であったこと(話題性のあったドラマ)や、年間シングルランキングで2位も取っていたので、その辺を加味して受賞が決まったという可能性があります。
この時、桜井和寿さんは「スタッフの努力が賞を頂くことに繋がった」といったコメントをされていました。
1995年のシーソーゲームで優秀作品賞
1995年、第37回の日本レコード大賞で「シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜」が優秀作品賞として選出されています。
1994年のinoccentworldの1年後ですので、この頃のミスチルがいかに勢いがあったか分かりますよね。
この時の優秀作品賞のノミネート作品は以下になります。
- 辛島美登里「愛すること」
- 酒井法子「碧いうさぎ」
- trf「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」
- SMAP「KANSHAして」
- 安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S「TRY ME 〜私を信じて〜」
- Mr.Children「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」
- 長山洋子「捨てられて」
- シャ乱Q「ズルい女」
- 天童よしみ「旅まくら」
- スピッツ「ロビンソン」
この年はヒット曲が多く生まれた年でもありました。
バンドで言うと、シャランQの「ズルい女」や、スピッツの「ロビンソン」あたりもとても有名ですよね。
2021年Bank Bandで特別賞を受賞
2021年、第63回の日本レコード大賞でBank Bandが特別賞を受賞しています。
ミスチルではないですが、ボーカルの桜井和寿さんとミスチルのプロデューサーである小林武史さんを中心に立ち上げたバンドです。
ミスチルの曲でBank Bandっぽい曲もあったりするので、桜井和寿さんがミスチルとBank Bandで、相互に影響を感じながら活動されているのを強く感じますね。
ミスチルがレコード大賞を欠席した理由は?事件の真相や過去の受賞曲も一緒に紹介!【まとめ】
レコード大賞、Signのミスチルだったね〜♬ pic.twitter.com/8qjqr1R2Z1
— れいり (@raykchile) December 30, 2015
ここまで「ミスチルがレコード大賞を欠席した理由は?事件の真相や過去の受賞曲も一緒に紹介!」といった内容でお届けしてきました。
まとめると
- ミスチルがレコード大賞を欠席した理由は3つあった
- ミスチルがレコード大賞に関わりがあった曲は4つあった
ミスチルが授賞式を欠席した事件はなかなか衝撃的ですよね。
過去にレコード大賞受賞者が欠席した事例というのは、ミスチル以外いないそうなんです。
ある意味、伝説を作ったと言えるかもしれません・・・。
それでは、お読み頂きありがとうございました。