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神田沙也加と松田聖子の仲は?絶縁や確執の関係と言われる理由も調査!

神田沙也加と松田聖子の仲は?絶縁や確執の関係と言われる理由も調査!

 

一般人
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神田沙也加と松田聖子の仲はどうだったの?

今回は「神田沙也加と松田聖子の仲は?絶縁や確執の関係と言われる理由も調査!」といった内容でお届けします。

ミュージカル俳優の神田沙也加さんが、35歳で亡くなられました。

父の神田正輝さんと、母の松田聖子さんが葬儀に出られ、会見をする様子もテレビで報じられました。

神田正輝さんは、神田沙也加さんが亡くなった当日に電話をしていたという報道もありますが、松田聖子さんは神田沙也加さんとは久しく対面していなかったようなんです。

この記事では

  • 神田沙也加と松田聖子の仲は?
  • 絶縁や確執の関係と言われる理由とは?

上記を中心に解説していきます。

それではさっそく見ていきましょう。

 

神田沙也加と松田聖子の仲は?

神田沙也加さんと松田聖子さんの仲は、どうだったのでしょうか?

神田沙也加さんがデビューを果たしてから、松田聖子さんとは共演している映像があるものの、最近では共演されていない様子でした。

二人の関係性とは・・?

 

仲が良好とは決して言えなかった

神田沙也加さんと松田聖子さんの仲は決して良いとは言えなかったと思われます

二人の関係性を遡ると、理由は単純なものではなく様々な出来事が重なり合い、関係性が複雑化してしまったようですね。

※関係が複雑化してしまった理由については、後述する『神田沙也加と松田聖子の絶縁や確執の関係とは?』で紹介していきます。

 

それでも「我が子を想う気持ち」は最後まで変わらなかった

親子の仲は良好ではなかった一方で、松田聖子さんの我が子を想う気持ちは最後まで変わらなかったのではないでしょうか。

神田沙也加さんの葬儀で、神田正輝さんは骨箱を持ち、松田聖子さんは位牌を持っていました。

どちらもピンク調に彩られており、珍しいと言われていました。

関係者の話によると、松田聖子さんが神田沙也加さんを想い、ピンク色に決めたと言われています。

神田沙也加さんと松田聖子さんは共に、好きな色の一つがピンク色だったそうですね。

松田聖子さんは、自分が好きな色と神田沙也加さんの好きな色のピンク色を使い、送り出そうとしていたのかもしれません。

テレビ局関係者は、以下のように語っています。

娘の最後の旅立ちを「プロデュース」したのではないか。

松田聖子さんは、神田沙也加さんのデビュー当時「SAYAKA」と名付けたり、CM出演の際は挨拶回りを行うなど、芸能界で成功できるようプロデュースされていました。

確執が囁かれていた二人でしたが、この話が事実だとすれば松田聖子さんが、神田沙也加さんを想う気持ちは決して途切れてはいないでしょう。

いつかは壁も何もない、気兼ねなく話し合える親子として関係を修復したかったのではないでしょうか。

 

神田沙也加と松田聖子が絶縁や確執の関係と言われる理由とは?

ここでは、神田沙也加さんと松田聖子さんの絶縁や確執の関係と言われる理由についてご紹介していきたいと思います。

  • 幼少期の母親との関係
  • 中学時代の転校
  • 母親からの度重なる反対意見

以上について紹介していきます。

 

幼少期から松田聖子とは疎遠だった

親子の関係は、幼少の頃から疎遠だったことが考えられます。

松田聖子さんは芸能活動が忙しく、娘の神田沙也加さんと過ごす時間があまりありませんでした。

そのため祖母が、代わりに育児をしていたそうなんです。

母親と過ごす時間が少なければ、親子の距離も自然と疎遠になってしまったというのも頷けますよね。

 

中学時代に転校を何度も行うことになった

神田沙也加さんは、母親の仕事や恋愛事情に振り回されてしまい、中学校時代に度重なる転校を経験することになります。

松田聖子さんは神田正輝さんと離婚した後、歯科医師の波多野浩之さんと再婚をします。

松田聖子さんは再婚後、仕事の兼ね合いもありアメリカへと拠点を移すことになるのですが、神田沙也加さんもアメリカに行くか決断を迫られることになるのです。

神田沙也加さんは『継父と一緒に行くことに抵抗があった』と語っており、アメリカには行かず、全寮制の中学校へと進学することになります。

ですが、そこで壮絶ないじめを受けてしまいます。

寮を出て、血縁関係のない親戚の家から通うことになりますが、結局上手くいかず松田聖子さんのもとでロサンゼルスの学校へ通うことになります。

神田沙也加さんは、この時の状況について以下のように語っています。

英語も最初は全然分からないし、周りにもとけこめない。母親がコンサートツアーやディナーショーで家を空けることも多くなって、日が浅い継父と一緒に過ごすことも難しくて

まだ中学生という多感な時期。

言語が分からない現地の生活を考えると、大変だったことが想像できますよね。

さらには面識があまりない継父の元で、プライベートを共に過ごすことになる。

神田沙也加さんは、心を休めることはなかなか難しかったのではないでしょうか。

中学校時代を振り返り、以下のように語っていました。

中学校時代は正直辛いことしかなかったです。結局4回転校を繰り返しました

中学時代、いじめをされていた理由は「芸能人の娘という妬み」も一つの理由にあったとされています。

神田沙也加さんは、小さい頃子ども同士で遊ぶことが禁止されていたそうで、そのような環境で育ち、友達との上手な距離感というのも掴めなかったのではとも言われています。

週刊誌の報道では

学校でのいじめや、継父との関係といった悩みを相談できるのは、アメリカ進出に燃えていた母・聖子ではなく、祖母だった。現在の母娘冷戦の遠因には思春期から芽生えていた母への不信もあるのでしょう

神田沙也加さんは、自分の置かれている境遇や、母親の事情で辛いことも多く経験したことで、 松田聖子さんに対する信頼が揺らぎ、距離が生じてしまったとも推測できます。

 

母親からの度重なる反対意見があった

神田沙也加さんは、松田聖子さんから、仕事やプライベートに関して度重なる反対意見を出されていたようです。

ある芸能関係者は以下のように語っています。

聖子さんは成功者として娘を本気で守りたいがために、時には沙也加さんがやりたいことに反対もしてきた

 

芸能界入りについて

松田聖子さんは、神田沙也加さんの芸能界入りを当初、反対していました。

2001年に神田沙也加さんのデビューが決まると

やると決まったら、私が守っていかなくては

松田聖子さんは、気持ちを固め神田沙也加さんを守ろうと決意したようです。

芸能界の厳しさを知っているからこそ、芸能界に入ってほしくなかったという気持ちもあったようですね。

 

恋愛について

松田聖子さんは、神田沙也加さんが恋愛する度に反対意見を出されていたそうです。

神田沙也加さんは、母親の恋愛遍歴を知っているがゆえ、母は好き勝手生きているのに、なぜ私は反対されなくてはいけないのそのように思っていたようなんですね。

2017年の神田沙也加さんと村田充さんの結婚の際は、松田聖子さんは祝福コメントを出しませんでした。

この結婚以降、表立った関係修復は見られないままとも言われています。

ある芸能関係者は、以下のように語っています。

自分の結婚する相手は石原軍団の神田正輝さんだったり、お医者さんだったり、ある一定のポジションの人です。だから、村田さんとの結婚はお気に召さなかったんだと思います

真相は分かりませんが、松田聖子さんは娘に対して過干渉気味だったとも言われています。

松田聖子さんの中には「幸せな娘の理想像」というものがあり、愛するがゆえにそれを押し付けてしまっていたのかもしれませんね。

 

神田沙也加と松田聖子の仲は?絶縁や確執の関係と言われる理由も調査!【まとめ】

ここまで「神田沙也加と松田聖子の仲は?絶縁や確執の関係と言われる理由も調査!」といった内容でお届けしてきました。

まとめると

  • 神田沙也加と松田聖子の仲は決して良好とは言えなかった
  • 絶縁や確執の背景には、娘を愛するがゆえの干渉があった

松田聖子さんのある種の破天荒ぶりは、スター性も感じてしまう部分でもあります。

ただ、その振る舞いが少なからず娘との距離を遠ざけてしまった要因でもあったのかもしれません。

ただ、根本には「娘を愛していたこと」には変わりなかったのではないでしょうか。